塾の指導と「欲望形成支援」

こんにちは、片岡です。

先日、ある作業療法士の方のブログを読んでいて、塾の指導にも共通する大切なことが書いてあると感じたので紹介します。

意思決定支援と欲望形成支援

ブログの冒頭部分を引用します。

リハビリテーションの開始にあたっては「お風呂に入れるようになるため」などの「目標」を設定する必要があります。中には「目標と言われても…」と困ってしまう方もいらっしゃいます。

「意思」をもち「目標」を決定していくことは、そう簡単なことでないのだと、担当している方と話すたびに感じています。

作業療法と「欲望形成支援」

塾の指導でも、「次のテストは何点取りたい?」といった形で、生徒に「目標」を尋ねるシーンがあります。「志望校はどこか?」というのもそうですね。学習指導においてはしばしば、目標を定めることが必要とされます。

しかし、多くの生徒が「う〜ん…」と口籠もってしまいます。

当然といえば当然で、目標は「そのためにどんな勉強が必要か」を決めるための口実として機能するため、生徒は「高い点数を目標にしたらその分長い時間を拘束される」ことを心配してしまうのです。

ある意味で、目標は口実のために定めているところがあるということは理解できますし、書籍やブログ記事における勉強法にはよく「勉強を始める前に、まず目標を定めましょう!」と書いてあります。

しかし本当にそのような目標に意味があるのでしょうか。私自身、中高生のそれなりに真面目に勉強していた時期であっても、「よし、今回の定期テストはこの点数を目標にするぞ!」と決めてから勉強していたわけではありません。

ブログでも引用されていた國分功一郎さんと熊谷普一郎さんとの共著『〈責任〉の生成 中動態と当事者研究』から引用します。

僕は(…)「意思決定支援」という言葉に代えて、「欲望形成支援」という言葉をもってくることを提案しています。意志(意思)でなく欲望。決定でなく形成です。人は自分がどうしたいのかなど、ハッキリとはわかりません。人は自分が何を欲望しているのか自分ではわからないし、矛盾した願いを抱えていることも珍しくない。だから、欲望を医師や支援者と共同で形成していくことが重要でないか。

國分功一郎、熊谷晋一郎『〈責任〉の生成 中動態と当事者研究』 p.200~

欲望というとギラギラした響きがあるかもしれませんが、単純に「◯◯したい、◯◯できるようになりたい」という気持ちのことだと考えていいでしょう。

「決定」というと、AかBかというあらかじめ固定された選択肢の中から選ぶという含みがありますが、そうではなく白紙に近いところからやりたいことを作っていくというイメージでしょうか。

テストで何点を取りたいか、志望校はどこにするか。もちろん、ある程度決まっていて、「あと一押し」というときには、「どちらにする?」という二者択一的な問いかけにも効果があるでしょう。

しかし、それが行きすぎて「とにかく相手が選んだという事実があればよい」という状態になってしまったら、支援としては失格です。

矛盾する欲望を持つ受験生

話が少し逸れるようですが、上で引用した國分さんと対談イベントを開催されてもいる精神科医の斎藤環さんは、「被治療者がつねに治療意欲(治りたいという意欲)に満ちているとは限らない」と述べています。

長年ひきこもり支援にかかわってきた立場としては,患者の治療意欲は不安定であるのがむしろ常態であり,著者はこれが意思決定支援の困難さの主因ではないかと考えている.ひきこもりに限らず,精神医療が対象とする患者の多くは,治療に対して両価的な感情や葛藤を抱えていることが多い.もちろん「治りたい」という気持ちが基本であるにせよ,それと同時に「治るはずがない」「簡単に治されたくない」「入院で治されるのは嫌だ」といった矛盾する感情が存在することが珍しくないのである.

「意思決定支援」から「欲望形成支援」へ

こちらも非常に共感できる内容です。

教育業界では、中学受験をする予定の子供が勉強しようとせず、親御さんが見兼ねて「もう受験やめる?」というと絶対にノーと言う、という光景が代表的でしょうか。

引用の被治療者と同様に、受験勉強に取り組む小学生も「勉強したい/したくない」という矛盾を抱えているのです。

支援現場において、支援者は、支援される側が抱える矛盾した気持ちを受け止めて臨む必要がある——。そのように言えるのではないでしょうか。

もちろん医療と教育の現場では事情が異なる部分もあると思いますが、塾においても「欲望形成支援」が重要になるシーンはたくさん思い浮かびます。

「◯◯したい」がある方が、勉強を頑張りやすくなるのも事実です。しかし、志望校や目標の点数が決まっていない段階の生徒はたくさんいます。

そういった生徒に対して、既成事実的に目標を決めさせるのではなく、一緒に欲望をつくっていく。どんなことができるようになりたいか、どんな自分でありたいか、考えるヒントを提供していく、そんな塾でありたいものです。

〈責任〉の生成ー中動態と当事者研究

責任(=応答すること)が消失し、「日常」が破壊された時代を生き延びようとするとき、我々は言葉によって、世界とどう向き合い得るか。『中動態の世界』以前からの約10年にわたる「当事者研究」との深い共鳴から突き詰められた議論/研究の到達点。
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私たちは、横浜にある小さな個別指導の学習塾です。

受験をはじめとした勉強において、固定的なカリキュラムや決まった勉強方法に生徒を適応させることに意識が向きがちです。

私たちはそれらを大切にすると同時に「生徒」を中心とした学習方法を提案し実践することが、生徒が勉強を楽しむことに繋がり、学力の向上につながると考えています。

「自分に合ったやり方で勉強したい」「どうせやるなら勉強を好きになってもらいたい」という方は是非ティーシャルをご検討ください。

この記事を書いた人

片岡 正義

主に国語・英語を担当。言語を理解する上での「からだ」と「あたま」の双方から楽しみを感じられるような授業をしたいと思っている。

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