古文の読解力の伸びが感じられないのはなぜか

解析古典文法

こんにちは、片岡です。

先日、受験生から「世界史は勉強した分成績が伸びているんだけど、古文の、特に読解は勉強しても伸びてる気がしない…。どうしたらいいですかね。」と相談を受けました。

古典だけでなく英語や現代文といった語学系科目は他科目に比べ「伸びが感じられない」という生徒がとりわけ多いと感じています。

今回、上記の質問を受けて「どうして古文は伸びを感じにくいか」を探っていきます。

古文は単語や文法を覚えただけでは読解しづらい

私も学生時代は古典(古文)が苦手でした。読める話もあるけれどムラが激しい、話の方向を見失いやすい、という感覚です。

原因としてひとつ思い当たるのは、得意科目だった英語ほどには、熱心に古文単語の暗記をしていなかったことです。

古典・英語の読解において単語を覚えておくことは最も重要です。今回、悩んでいた生徒も古文単語や古典文法が十分に身にはついていなかったため「まずは古文単語(や文法事項)を覚える」という旨の回答をしました。

しかし、勉強しても古文ができるようになる気がしないと困っている生徒が、古文単語・文法を覚えただけで読解問題が解けるようになるかというと、そうではないケースも多いです。

このことは、英語の読解にも当てはまりますが、英語と比べて古文の方が単語文法と読解の溝が大きいように感じます。

書かれていないことを補わなければ読めない

英語の読解と古文の読解の違いに注目してみましょう。

英語と古文で最大の違いは何かといえば、まずは主語の有無があげられるのではないでしょうか。英語にはほとんど必ず主語がありますが、古文は主語がなかったり、一文の中で変わったりします。

英語の読解と比べて古文の読解が苦手な人は、主語がわからないために話題が追いにくくなっているのではないでしょうか。

中には主語の有無によって読みにくさは変わらないという人もいるかと思います。どちらかといえば日本語は現代になっても主語のない言語と言われますしね。

また、古文では主語だけでなく現代の感覚からみると様々なものが省略されます。古文常識と言われるものですね。こうしたものをきちんと補いながら読めるかどうかが、うまく読解できるかを左右しているのだと思います。

このことは古文だけでなく読解一般についてもいえるでしょう。省略されているもの、書かれていないことを補わなければ読解はできない。明文化されていない前提を著者と共有する必要がある。ということです。

敬語に注目する

ではどうするか。古文における主語の省略に限っていえば、それを見極めるのに大切な手がかりになるのは敬語です。文法的な〈主語〉というよりは、〈動作主〉といった方が適切かもしれません。いま誰が、何をしているのか。したのか。それに対して、誰が、何を言ったのか。思ったのか。それに対して筆者が、どういう評価を下しているか。…etc.

ですから、実用的なアドバイスとしては、古文が苦手な人は敬語の理解を確かめてみましょう、ということが言えます。具体的には…

  • 敬語表現にかかわる助動詞をしっかり理解しているか?
  • 尊敬・謙譲・丁寧という敬語の三区分についてしっかり理解しているか?
  • ある単語が尊敬語なのか、謙譲語なのか、きちんと判断できるか?

おおよそ以上になるでしょうか。他にも、役職の名前からどれくらいの偉さ・地位なのか、ということが想像できるかなどを考えてみてもいいですね。

文脈を追うための助動詞の見極め

古文の多くは物語ですから、誰が・何をしたのかを追い続けることが読解の中心になります。広い意味で文脈力とでもいえるでしょう。

文の意味を決定する上で重量な役割を担っているのが助動詞ですので、助動詞の知識も正確に持っておくことがここで必要になるでしょう。

それぞれの助動詞の訳し方を自分なりにしっかり持っておくこと。係結びを違和感なく訳せる(已然形と命令形を間違えないなど)こと。疑問や反語を明確に見極められること。「む」や「べし」などの複雑な意味を持つ助動詞の文脈判断にきちんと慣れておくこと。などです。

話の展開を予測する

古文の読解のために、他には何が必要でしょうか。それは、次にはこういうことが起こるだろう、という無意識的な予感を正しく形成することです。

少し難しいことに聞こえるかもしれませんが、これは決して特別なことではなく、むしろ私たちの多くが日常的に行っていることです。

例えば、サバイバルゲーム系の物語で一人だけイキって「チームプレイなんか知るか!俺はどんなことをしてでも生き残ってやるぜ!」と言う人が出てきたら「この人は初めの方で死んでしまうのだろうな。」と思ってしまいますね。

抽象的すると「話の中で起きるできごと/出てくる人物に対して、これから何が起き、大体どういう話が続き、どのように終わるかを自然と予測すること」といえます。今っぽい言葉を使うなら、ある種の「フラグ知識」と言えるかもしれません。ちなみに、文学理論ではこのような予感・予期のことを「期待の地平」と呼びます。

もう少し話を大きくすると、こうした物語は、「協力することの大切さ」を伝えるという目的あるいは機能を持っていて、それが物語の「メッセージ」であるといえます。物語というものはある種の「メッセージ」を伝えるために、受け容れてもらうために書かれているといえます。ゆえに、物語のメッセージを受け容れられるようになることが、物語を読めるようになることだといえるのです。

古文の読解において必要なこと

面白い物語が、こうした読み手の抱く期待の地平をちょうどいい塩梅で裏切ってくれるものだとすると、つまらない物語というのはいつまでも期待の地平が更新されないものだといえるでしょう。

そして、面白いとかつまらない以前に読みにくい物語というのは、そこで前提とされている期待の地平が、読み手のもっているパターンに当てはまらないもの、ということになるのではないでしょうか。

逆に言えば、読みやすい物語というのは、最初の数行でそれがどんな物語なのかわかるもの、いや、それがどんな物語であることを期待すればいいのかわかる物語でしょう。

古文の読解においては、見慣れない単語の中からどうにかしてこの物語の緒を見つけ出し、物語の期待することをつかんで、そこにこちらの感覚を合わせていくことが必要になります。

古文における期待の地平を形成する

そういうわけで古文読解を伸ばすには、単語や文法の知識を増やすだけではなく、期待の地平を形成するような練習をしなければなりません。そのためには一つ一つの言葉・背景・話の流れ・その話の何が面白いのかなどを丁寧に分析し、味わっていく他ありません。近道はないのです。

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この記事を書いた人

片岡 正義

主に国語・英語を担当。言語を理解する上での「からだ」と「あたま」の双方から楽しみを感じられるような授業をしたいと思っている。

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