仮定法のshouldとwere toの違い

昨日のエントリで書いた、ある生徒との「自動詞と他動詞の見分け方」と「完了形の使い方」についての会話、昨日はあの後もかなり報告があり、書ききれない分もあったので今日にとっておきました。続きを書きたいと思います。

彼からあった報告は次のようなものでした。

生徒:「仮定法のshouldとwere toは、起こる可能性があるかないかで決まるんすね。実際に少しでもあると思っているならshouldだけど、were toはそもそも実現する可能性がなくて〈完全なる妄想〉として話をするときに、使うんだと書いてありました。」

一晩経ち、私も自分なりに調べてみました。参照先は、中原道喜先生の『新マスター英文法』です。

shouldwere to もほぼ同じように用い、同じ文で相互に置き換えうる場合も多いが、should はわずかであるが起こり得る可能性を残しているのに対し、全く起こりえない純然たる仮定として述べる場合には were to が用いられる。

 

 What would become of mankind if another world war should break out? (もし再び世界大戦が起これば人類はどうなるだろう)

 If the sun were to rise in the west, I would not change my mind. (たとえ太陽が西から昇ったとしても、私は決心を変えないだろう)

『新マスター英文法』p. 465-466

shouldとwere toで重なっている部分がないわけではないけれども、やはり〈完全なる妄想の世界〉を表すときにwere toという傾向はあるようですね。

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この記事を書いた人

片岡 正義

主に国語・英語を担当。言語を理解する上での「からだ」と「あたま」の双方から楽しみを感じられるような授業をしたいと思っている。

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