【古文】係り結びの意味と訳し方を解説
古文の文法の中で、早いうちから登場するわりに大変わかりにくいものの筆頭が、この係り結びではないでしょうか。
私は中学時代、先生が「係り結び」という言葉を授業中にたくさん言っているのだけど、その中身が何なのか、係り結びとはどういったものなのか、それがわからずにとてもモヤモヤしました。今思えば、ここから自分の古典・古文嫌いが始まったのかもしれません。
とまあ、自分のことは一旦置いておいて、係り結びについて説明していきましょう。
係り結びを引き起こす係助詞
係り結びは〈驚き〉や〈疑問〉を表す
係り結びは、文章中である言葉や事柄を〈強調〉したいとき、疑問文を作りたいときに使います。
文章中に〈!〉や〈?〉を表現したいときに係り結びとが出現するということもできます。
〈!〉には「ぞ」「なむ」「こそ」を使い、〈?〉には「や」「か」を使います。また、これらの5つをまとめて「係助詞」(けいじょし/かかりじょし)と言います。係り結びを引き起こす助詞、というほどの意味です。
〈驚き〉を表す「ぞ」「なむ」「こそ」
「!」マーク、すなわち強調の中でも、「ぞ」と「こそ」は今でも使います(使い方はちょっと違いますが)。
「ほら、そろそろ出発するぞ」の〈ぞ〉。「こっちこそ、ごめんね」の〈こそ〉は、それぞれ「出発する」「こっち」を強調しています。強調とだけ言われてもピンと来ないかもしれないですが、「もうすぐ出発するから急いで」「謝るのはそっちではなくこちらなのです」というふうに、直前の言葉を、〈他ならぬこれ〉として強調するのです。
驚きや強調の度合いは、「なむ」<「ぞ」<「こそ」の順で、強くなります。
〈疑問〉を表す「や」「か」
〈?〉マークの中で、「か」は今でも普通に使いますね。「元気ですか」「本当にそれでいいんですか」「私のおまんじゅうを食べたのは、あなたなのですか」など、疑問文を作ることができます。
「や」と「か」はどう使い分けていたのかというと、「や」はYes/Noで答えられる疑問文、「か」は5W1Hのつく疑問文で使っていたようです。英語で言えば、「Do you 〜 ?」の疑問文に当たるのが「や」を使った文、「Where do you 〜 ?」などに当たるのが「か」を使った疑問文だということですね。
係り結びが登場する文章を読んで訳してみる
微妙に異なる強調のニュアンスを感じ取る
以上の知識を踏まえて、実際に古文を読んでみましょう。『伊勢物語』というテキストから、有名な箇所を選びます。著者が込めたかった感情が感じられるでしょうか。
昔 田舎渡らひ しける 人の子ども 井の許(もと)に出でて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も 恥ぢ交はして ありけれど、男は〈この女をこそ得め〉と思ふ。
女は〈この男を〉と思ひつつ 親の会はすれども 聞かでなむ ありける。
『伊勢物語』より
幼馴染として育った男女が、お互いに「この人とこそ!結婚したい」と思っているところです。「絶対にこの人がいい」という強い思いが、最上位の強調である「こそ」という助詞に現れていますね。
一方で、後半の「聞かでなむありける」は、「親が言ってるのに、聞かなかったんですよ」というくらいの、少し弱い強調として読めばいいでしょう。
「こそ」と「なむ」、使われる係助詞によって違う、微妙な文のニュアンスを感じてもらえたでしょうか。
係り結びの文末について
係り結びの使われている部分の、文末の部分を「結び」と呼んでいます。先ほどの伊勢物語の例では、〈この女をこそ得め〉(①)〈聞かでなむ ありける〉(②)の部分が結びにあたります。
②〈聞かでなむ ありける〉は、特に係り結びや、文法について知らなくてもなんとなく「聞かなかったのである」と読めてしまうかもしれません。しかし、①〈この女をこそ得め〉は変な終わり方をしています。「えめってなんだ?」と思う方も多いのではないでしょうか。実はこれが係り結びの〈法則〉が現れているところです。
「係り結び」と「係り結びの法則」は、同じものを指しているのですが、「法則」がついたときには、
文中に「ぞ・なむ・や・か・こそ」の5つのうちどれかが出てくると、通常の終止形ではなくて、連体形か已然形で文末が終わる。
という法則のことを示しています。これは、法則と言っても昔の文部科学省の人が決めたという法則ではなく、「なぜかそうなってる」ということです。友達との約束で、「行けたら行くわ」って言われたときはだいたい来ない、みたいな感じです。
「行けたら行くわ」って言った時はだいたい来ない。しかし、たま〜に来るときもある。それは例外と呼ばれるもので、係り結びの法則にも例外があります。結びの省略や結びの流れと呼ばれるもので、係助詞が出てきても連体形・已然形で結ばず、そのまま文が続いていってしまう、というケースです。例外ですからそれほど頻度は高くありませんが、「係助詞が出てきたからと言って必ず連体形か已然形が出てくる訳ではない」ということは覚えておいていいでしょう。
『伊勢物語』の中から、結びの省略が行われているところを紹介します。先ほどの引用のすぐ後のところなので、同じところももう一度載せます。
昔 田舎渡らひ しける 人の子ども 井の許(もと)に出でて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も 恥ぢ交はして ありけれど、男は〈この女をこそ得め〉と思ふ。
女は〈この男を〉と思ひつつ 親の会はすれども 聞かでなむ ありける。
さて この隣の男の許より、斯く(かく)なむ
筒井つの井筒にかけしまろが丈 過ぎにけらしな 妹見ざる間に
(昔はこの筒型の井戸の囲いのところで測っていた僕の背丈だけど、もうその高さもすっかり通り越してしまったようですよ。君にしばらく会わない間にね)
『伊勢物語』より
下線を引いた「斯くなむ」というところが、結びが省略されているところです。「斯く」は「このように」という意味で、「なむ」があるので通常であれば「このように届きました」などの言葉が欲しいところですが、書き手がこうした方がいいと思ったのか、そのような言葉が省略されています。今の言葉にするなら、「その男のところから、こうである」とでも訳せばいいでしょうか。
まとめ
今回は、古文の中でも最初につまづきやすい係り結びの法則について主にお話をしてきました。少しでも古文を身近に感じ、面白いと思ってもらえたら幸いです。
好きこそ物の上手なれ。有名なこの諺にも、実は係り結びが使われています(こそ→なれ([なり]の已然形))。「好きだからこそ、物は上達するのだ」という意味です。(上手になりなさい、なってくれ、というお願いや命令の意味ではありません。已然形と命令形が似ているので間違えやすいのですが)
あなたが古文を好きになるきっかけになれば幸いです。次回は活用について説明したいと思います。
参考文献
古文を楽しく読むために (シリーズ日本語を知る・楽しむ 1)
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