古文文法入門—係り結びについて

はじめに

こんにちは。片岡です。

普段英語の記事を書くことが多いですが、文系出身ということもあって古文を担当することもあります。今回は古文を教えていて、こんなことをもっと伝えられたらいいなあと思うことを書きたいと思います。

古文に対するイメージ

学生の時は正直何が面白いのか全く分からなかった古文ですが、大学で古文が大好きという詩人の方に出会い(学生ながら詩人としても活動していた!)、古文って面白いのかなぁと思い始めました。

教科の好き嫌いには、できる・できない(得意・不得意)も関係していると思いますが、好きこそものの上手なれということはどんな科目、いや勉強を超えてどんなことにも言えるのでしょう。

「古文が読めない!」「意味わかんなくて苦手/面白くない/嫌い」「でも文系…」というかつての自分のような方に向けて、少しでも面白くなるような手引きがかけたらと思います。

記事の内容と性格

このエントリでは一冊の本を参考にしながら、私が今思う古文の面白さについて伝えて行けたらいいなと思っています。

古文が苦手だったり、嫌いになってしまった中高生の方に対して、少しでも「こんなふうに考えたら面白い、わかりやすい」という用語の解説や、「こんな知識と合わせて考えると面白いよ」ということが紹介できればと思っています。

古文の文法には、わかりやすいとは言えない用語が結構出てきます。「係り結び」や「活用」はその代表でしょうか。

この記事では、私が授業をしていて、「こんなふうに説明を受けたらわかりやすいかもしれない」ということを念頭に、それらの用語の説明も載せていくつもりです。

中高生に向けた説明ですので、学問的な厳密性はあえて無視したり、カバーしきれないところがあるかもしれませんが、わかりやすさや親しみやすさを重視した結果ですので、その点はご了承いただければ幸いです。

こんな人にむけて書いています

参考として、こんな人に向いているというのをもう少し並べておきたいと思います。

  • 古文は苦手だけど、現代文は好き(特に小説)
  • 一般に小説や物語が好き。よく本を読む。
  • 文法が意味わからない。係り結びってなに?
  • 毎回テストで本文を暗記したりするのが、まじ意味わからない。苦痛。もう少し楽しんでできたらいいのに…。
  • 英語は得意(好き)だけど、古典(古文・漢文)は苦手。同じ”外国語”みたいなものなのに、どうしてだろう…。
  • 日本の平安時代など、昔の時代が好きで、古文を読んだらもっとわかるのではないかと思っている。
  • 特にどれにも当てはまらないけど、古文が好き。興味がある。

用語の解説—「古文」と「古典」

最後に、本文に入るための下準備として、用語の区別を載せておきたいと思います。

これまで特に区別なく使ってきた「古文」と「古典」ですが、「古文」は「日本語の、昔に書かれた文章」という意味です。「古典」は、「古文」と「漢文」を合わせたものになります。簡単な意味ですが、ここからは日本語の文章をさすときには「古文」、漢文を含めた広い意味で使うときには「古典」を使い分けて行きたいと思います

係り結びについて

古文の文法の中で、早いうちから登場するわりに大変わかりにくいものの筆頭が、この係り結びではないでしょうか。私は中学時代、先生が「係り結び」という言葉を授業中にたくさん言っているのだけど、その中身が何なのか、係り結びとはどういったものなのか、それがわからずにとてもモヤモヤしました。今思えば、ここから自分の古典・古文嫌いが始まったのかもしれません。

とまあ、自分のことは一旦置いておいて、係り結びについて説明していきましょう。

係り結びは〈驚き〉と〈疑問〉を表す

係り結びを使うのは、文章中である言葉や事柄を〈強調〉したいときと、疑問文を作りたいときです。

要するに係り結びとは〈!〉と〈?〉のあるときに出現するのです。

〈!〉には「ぞ」「なむ」「こそ」を使い、〈?〉には「や」「か」を使います。また、これらの5つをまとめて「係助詞」(けいじょし/かかりじょし)と言います。係り結びを引き起こす助詞、というほどの意味です。

〈驚き〉を表す「ぞ」「なむ」「こそ」

「!」マーク、すなわち強調の中でも、「ぞ」と「こそ」は今でも使います(使い方はちょっと違いますが)。

「てめえ、ぶっ飛ばすぞ」の〈ぞ〉。「こっちこそ、ごめんね」の〈こそ〉は、それぞれ「ぶっ飛ばす」「こっち」を強調しています。「ただ殴るんじゃなく、あなたが吹っ飛ぶぐらい強くやる」「あなたではなく、謝るのはこちらなのです」というふうに、直前の言葉を、〈他ならぬこれ〉として強調するのです

驚きや強調の度合いは、「なむ」<「ぞ」<「こそ」の順で、強くなります。

〈疑問〉を表す「や」「か」

〈?〉マークの中で、「か」は今でも普通に使いますね。「元気ですか」「本当にそれでいいんですか」「私のおまんじゅうを食べたのは、あなたなのですか」など、疑問文を作ることができます。

「や」と「か」はどう使い分けていたのかというと、「や」はYes/Noで答えられる疑問文、「か」は5W1Hのつく疑問文で使っていたようです。英語で言えば、「Do you 〜 ?」の疑問文に当たるのが「や」を使った文、「Where do you 〜 ?」などに当たるのが「か」を使った疑問文だということですね。

実際のテキストを読もう

微妙に異なる強調のニュアンスを感じ取る

以上の知識を踏まえて、実際に古文を読んでみましょう。『伊勢物語』というテキストから、有名な箇所を選びます。著者が込めたかった感情が感じられるでしょうか。

昔 田舎渡らひ しける 人の子ども 井の許(もと)に出でて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も 恥ぢ交はして ありけれど、男は〈この女をこそ得め〉と思ふ。

女は〈この男を〉と思ひつつ 親の会はすれども 聞かでなむ ありける

『伊勢物語』より

幼馴染として育った男女が、お互いに「この人とこそ!結婚したい」と思っているところです。「絶対にこの人がいい」という強い思いが、最上位の強調である「こそ」という助詞に現れていますね

一方で、後半の「聞かでなむありける」は、「親が言ってるのに、聞かなかったんですよ」というくらいの、少し弱い強調として読めばいいでしょう。

「こそ」と「なむ」、使われる係助詞によって違う、微妙な文のニュアンスを感じてもらえたでしょうか。

係り結びの文末について

係り結びの使われている部分の、文末の部分を「結び」と呼んでいます。先ほどの伊勢物語の例では、〈この女をこそ得め〉(①)〈聞かでなむ ありける〉(②)の部分が結びにあたります。

②〈聞かでなむ ありける〉は、特に係り結びや、文法について知らなくてもなんとなく「聞かなかったのである」と読めてしまうかもしれません。しかし、①〈この女をこそ得め〉は変な終わり方をしています。「えめってなんだ?」と思う方も多いのではないでしょうか。実はこれが係り結びの〈法則〉が現れているところです

「係り結び」と「係り結びの法則」は、同じものを指しているのですが、「法則」がついたときには、

文中に「ぞ・なむ・や・か・こそ」の5つのうちどれかが出てくると、通常の終止形ではなくて、連体形か已然形で文末が終わる。

という法則のことを示しています。これは、法則と言っても昔の文部科学省の人が決めたという法則ではなく、「なぜかそうなってる」ということです。友達との約束で、「行けたら行くわ」って言われたときはだいたい来ない、みたいな感じです。

「行けたら行くわ」って言った時はだいたい来ない。しかし、たま〜に来るときもある。それは例外と呼ばれるもので、係り結びの法則にも例外があります。結びの省略や結びの流れと呼ばれるもので、係助詞が出てきても連体形・已然形で結ばず、そのまま文が続いていってしまう、というケースです。例外ですからそれほど頻度は高くありませんが、「係助詞が出てきたからと言って必ず連体形か已然形が出てくる訳ではない」ということは覚えておいていいでしょう。

『伊勢物語』の中から、結びの省略が行われているところを紹介します。先ほどの引用のすぐ後のところなので、同じところももう一度載せます。

昔 田舎渡らひ しける 人の子ども 井の許(もと)に出でて遊びけるを、大人になりにければ、男も女も 恥ぢ交はして ありけれど、男は〈この女をこそ得め〉と思ふ。

女は〈この男を〉と思ひつつ 親の会はすれども 聞かでなむ ありける。

さて この隣の男の許より、斯く(かく)なむ

 

筒井つの井筒にかけしまろが丈 過ぎにけらしな 妹見ざる間に


(昔はこの筒型の井戸の囲いのところで測っていた僕の背丈だけど、もうその高さもすっかり通り越してしまったようですよ。君にしばらく会わない間にね)

『伊勢物語』より

 

下線を引いた「斯くなむ」というところが、結びが省略されているところです。「斯く」は「このように」という意味で、「なむ」があるので通常であれば「このように届きました」などの言葉が欲しいところですが、書き手がこうした方がいいと思ったのか、そのような言葉が省略されています。今の言葉にするなら、「その男のところから、こうである」とでも訳せばいいでしょうか。

まとめ

今回は、古文の中でも最初につまづきやすい係り結びの法則について主にお話をしてきました。少しでも古文を身近に感じ、面白いと思ってもらえたら幸いです。好きこそ物の上手なれ。冒頭にあげたこの諺にも、実は係り結びが使われています(こそ→なれ([なり]の已然形))。まとめに入ったので詳しくは解説しないでおきたいのですが、「好きだからこそ、物は上達するのだ」という意味です。(上手になりなさい、なってくれ、というお願いや命令の意味ではありません。已然形と命令形が似ているので間違えやすいのですが)

あなたが古文を好きになるきっかけになれば幸いです。次回は活用について説明したいと思います。

 

参考文献

古文を楽しく読むために (シリーズ日本語を知る・楽しむ 1)

高校入試 とってもすっきり古文漢文 新装版

この記事を書いた人

片岡 正義

主に国語・英語を担当。言語を理解する上での「からだ」と「あたま」の双方から楽しみを感じられるような授業をしたいと思っている。

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