甘えは駄目なもの、なのか?

日本の精神科医であった土居健郎という人がいます。この人は、『「甘え」の構造』という本を書いています。


そこで土居先生は、「甘え」は日本独特の概念だということをいっています。


また、同じく精神科医の河合隼雄先生も、留学中師事した先生に、「甘え」とは何かについて説明するとき、


「甘えとはpamperするということか?」と訊かれ、「違う、違う。そんな簡単なことじゃないんだ。これはすごく大事なことだから1週間くれ」と返事をしたというエピソードを書かれており、とても記憶に残っています。


高校生や中学生は、よく「◯◯は甘え」という批判をします。


甘えは駄目なもの、なのでしょうか。


一方で、男女関係、親しい間柄の関係で、もっと甘えて欲しい、という言い方をすることがあります。甘えるということは、その人に心を許していることの現れなのでしょう。

もう少し違った言い方をしてみると、甘えるとはその人の駄目な部分を出す、ということになるでしょう。

勉強に甘えは通用しない、という言い方もされることがあるでしょうか。

しかし、勉強も一人でやるものではありません。

誰かに甘えながら、自分の駄目な部分を見せる、自己開示する必要があるでしょう。ある意味で、分からないところを聞くというのは、甘える技術のようなものが必要なのかもしれません。

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私たちにとってもカリキュラムは大切なものですが、勉強を通じて生徒自身が「どう勉強したいか」考えて行動できるようになることが、勉強を楽しむことに繋がり、長期的な学力の向上に貢献すると考えています。

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この記事を書いた人

片岡 正義

主に国語・英語を担当。言語を理解する上での「からだ」と「あたま」の双方から楽しみを感じられるような授業をしたいと思っている。

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