フィンランドの「教育」と自己評価-スタディーツアーレポート後編-
2016年5月14日~22日に参加してきたフィンランド・スタディーツアーのレポート後編です。
前編では森の中に住むご夫婦の家を訪れた体験から「自然」をテーマに書きました。後編はヘルシンキで小中一貫校・職業訓練校・公民館・学童・高齢者介護施設などを見学した体験から、おもに「教育」について書いていきます。
職業学校(オムニア)を見学
フィンランドでは中学を卒業すると進路は普通科の高校と職業学校の半々に分かれます。僕らはオムニアという、様々な資格が取れる職業学校を見学しました。
資格が重視されるフィンランド
フィンランドは資格社会です。例えばレストランのウェイターにも資格があり、資格がない場合よりも多くの給与がもらえるそうです。
資格を持っているということは通常、その能力を持っていることを意味するはずです。しかし、僕の経験上、日本ではそうでない場合がしばしばあるように思います。ですからフィンランドはどうなのか気になりました。
学校で食事を摂りましたが、そこで働く学生さんたちに注文を取ってもらい食事を運んでもらいます。蝶ネクタイをした先生は、ホテルの支配人かのように生徒たちの働きぶりをしっかりとチェックしていました。
また、別のスペースには美容室のための設備が整っていて、僕が訪れた時にも3~4名のお客さんが髪を手入れしてもらっていました。
職業学校は実習の時間がとても長く用意されています。おそらく日本の新入社員が最初の数ヶ月で企業研修で学ぶようなことをフィンランドでは学校の実習として済ませてしまうのでしょう。実習が長く用意されているからこそ、資格をもらう段階で働く能力が身についていることを約束出来るんですね。
僕が見た限りではありますが、フィンランドでは資格の制度や職業学校が機能しているように感じました。
保育士が学ぶ範囲が広い
フィンランドでは、保育士・看護士・介護士が学ぶことは共通している部分が多いそうです。
保育士になると子供のお世話を仕事にするわけですが、その子供がどのような人生を送るのか想像できる方がより良い仕事が出来るでしょう。だからフィンランドの保育士は、日本だと看護士だけが学ぶようなことも学ぶのですね。
芸術に触れる
フィンランドの公共の建物には必ず芸術的要素が取り入れられています。なぜなら建築の予算の1%は芸術のために使うという法律があるからです。小中一貫校や職業学校・地区センター・高齢者介護施設・学童など、どんな場所に行っても壁には絵が飾ってありました。
専門家ではない僕はうまく言葉にできないですが、芸術を身近に感じられるしくみは素晴らしいと思います。
先生・生徒・企業が交流できる空間づくり
職業学校にはコワーキングスペースのような開放的な空間がたくさんあります。
例えば、次の2枚の写真は同じ空間をそれぞれ1階と2階から撮影したものです。
職業学校のスペースには企業向けテナントもあります。この場所で先生、生徒、そして企業の人が交流することが出来るんですね。
例えば生徒がビジネスアイディアの話をしていたら、興味を持った企業の人がその話の輪に加わることも出来ますし、その逆も出来るでしょう。
また企業の人と先生が一緒にお茶をすることで、先生は企業がどんな人材を求めているのか理解できるでしょう。
以前ブログで「教育も時代の変化をしっかりとキャッチして内容が変わるべき」という主旨のことを書きましたが、フィンランドでは既に空間づくりから実践されていることに感動しました。
サウナでは何でも話す
あとはフィンランドといえばサウナですね。下の写真は職業学校の生徒が制作したサウナです。
サウナもまた貴重なコミュニケーションスペースですね。私もツアーでフィンランド人と一緒にサウナに入る機会がありました。彼に「サウナではどんなことを話すの?」と聞くと「何でもだ。」と答えが帰ってきました。
仕事・趣味・恋愛など何でも話すそうです。そしてまた、沈黙にも慣れているそうです。フィンランドは人と話したくなる空間に溢れています。
小中学校の見学
次に、フィンランドの小中学校を見学して印象に残ったことを紹介します。
科目横断型授業
次の写真は小学校の時間割です。少し字が小さめですが、よく見ると日本よりも授業時間が短く、やたらと「 X」 と書いてあることに気づきます。
X は科目横断型授業のことで、先生は生徒が自分で観察できるような身近な現象をテーマに授業を行う時間です。例えば、カードゲームを通じて「歴史」を「図工」「算数」「現代会」と横断させるような授業が行われています。
何をどうやってどれだけ教えるのかは、現場の先生に一任されています。だからこそ子供に合わせた授業を実施できるのです。とても難しいスキルが要求されるのでフィンランドでは大学院を卒業していないと学校の先生にはなれません。
フィンランドの授業はきっと理想に近いものですが、日本ではすぐには導入できないでしょう。このような授業の利点をしっかりと機能させるためには、これまでの日本の授業運営のスキルとは全く別のスキルが必要ですから。
少人数制クラス
学習の速度には絶対に個人差があります。
先生がいかに優れた指導が出来るとしても、生徒が授業内容を理解するまでにかかる時間をコントロールすることはできません。早く理解出来ることもあれば、なかなか理解が進まないこともあるでしょう。
その差を吸収するために20人のクラスと10人のクラスが存在し、学習が遅れている生徒は10人のクラスに入るそうです。学習が遅い生徒はそれだけ先生の目が届く環境で学べるわけですね。大きいクラスでも20人ですから、僕たちが学んできた環境と比べると少人数です。
人に教えることで理解を深める
勉強は人に教わるだけでなく、人に教えることによっても理解を深めることができます。フィンランドの教室では机はいつもグループになっていて、生徒たちはだいたい相談しながら問題を解くそうです。日本でいう班学習が常時行われているようなイメージですね。
個人的に印象に残ったのが、以下の写真です。給食の時間に撮影したのですが、机の上が散らかしっぱなしですね。意見が分かれると思いますが、これを見て僕は嬉しくなりました。
学校には食堂があり、生徒はそこで食事をします。写真のクラスの生徒たちは食事の後に教室に戻って、また同じ勉強を続けることが出来ます。一度片付けてしまうと再び集中した状態を作るのは大変だと思いますが、そのままならやっていたことを思い出すのは簡単ですね。
この例に限りませんが、ある作業に完全に没頭しているときに「時間だから」と切り替えて別のことをさせるのはもったいないことだと思います。
立ち姿勢のまま勉強できる机と椅子
長時間座りっぱなしでいることは、血の巡りが悪くなるなどの理由で喫煙と同じぐらい体に悪いことだといわれています。フィンランドではそのことを考えて机や椅子を学校で導入しているようです。
立ち姿に近い姿勢で勉強できるように椅子も机も高めに作られており、机の高さは調整できるようになっています。座面が湾曲しているので太腿に負担が掛かりにくく、背もたれにしっかり腰が付くように座らないと椅子からずり落ちてしまうので自然と良い姿勢でいられます。
コミュニケーションを促進する空間づくり
フィンランドの学校にはコミュニケーションを大切にする文化があり、自然と快適なコミュニケーションがおこるような工夫に溢れています。
例えば、下の写真は何のための場所でしょうか?
正解は学校の職員室です。事務机がないですね。職員室は情報・意見交換するため場所で事務作業は別の場所で行います。こんな職員室なら会話しないほうが不自然ですね。
僕は塾で働いていますが「〇〇学校では学級崩壊が起こっているらしい。」という話を生徒や保護者から耳にすることがあります。学級崩壊になる要素は様々だと思いますが、未然に防ぐために最初にできることが同僚の先生に相談することだと思います。フィンランドのような職員室で働いていたら、先生同士が教室の出来事を共有しやすくなり、素早いアクションが生まれ問題解決につながるかもしれません。
小中学校を見学して、あらゆる理想を取り込んでいると感心させられました。
成績は自分で決める
フィンランドの学校では、中間や期末といったテストはありません。生徒の成績は自己評価がベースになります。
自己評価をしたらそのまま成績になるわけではなく、自分でつけた評価について先生と面談で話し合い、一緒に最終的な成績を決めます。
小学校から中学校まで、毎年毎期、自己評価で成績を決めます。さらに小学校のうちから「自分が進学するのかどうか」まで自分で決定します。つまり選んで留年する生徒もいるのです。
参考:15歳以下で留年したことがある割合がフィンランドでは約3%
普通科高校に進学する場合は、中学校の成績が10段階評価で平均7以上が必要というように、成績が進学に関係します。そうなると次の疑問が出てきそうですね。
- 自分に甘い評価を出したらどうするの?
- どうやって自分を評価するの?
僕が話をしたフィンランドの先生によると、そもそも進学のために自己評価を甘くしすぎる生徒はほとんどいないそうです。
ズレが大きい場合は、先生と生徒の話し合いで認識のズレを確認します。自己評価と先生との面談を繰り返すことで、自分に正直ではない評価をしても何も得がないことを悟るように導くのでしょう。
評価方法はざっくりと次のようになっています。
まず学期の最初に空の成績表を生徒たちに配ってノートに貼ってもらいます。すると生徒は成績の評価項目には何があるのか知ることが出来ますね。さらにノートに貼っておけば、毎日の授業でふとしたときに意識できますね。
その成績表の評価項目を学期末までに埋めて、そして先生と面談して評価を決めます。
成長を実感する機会としての自己評価
ここからが今回の記事で最も伝えたかったことです。
幼い頃から自己評価の経験を積み重ねておくことは、自分がどんな人間かを考える機会になっていると思うんですね。
生徒は自分が成長する存在であることを自然と認識すると思います。2〜3ヶ月前と比べて自分はどんな点で成長したのかを考える経験を繰り返すわけですから。
自分が成長するという前提であれば、これからどんな人生を歩んでいくのかということを考えるときにストーリーを描きやすくなります。自分を固定的に捉えるのではなく「こういう成長をしたいから、こんな経験をしておこう。そしてこんな人間になろう。」という自分が変化するイメージが湧きやすくなると思います。
ちょっと妄想で先生と生徒の会話を想像してみました。
「この学期で何が出来るようになったのかな? もっと素敵な自分になるために次は何をしたい?」
もし面談でこんな会話をしているなら、生徒は数ヶ月で経験したこと・成長したことを認識して自分が成長していく存在であることを自然と受け入れやすくなると思います。
それはきっと自己肯定感につながります。しかも過去の自分と比較するので、ほとんどどんな生徒にも成長を感じてもらうことが出来るでしょう。そう考えると自己評価について先生と話す時間は、とっても素敵な時間だと思いませんか?将来につながる大切な時間だと思います。
成長を喜び、将来をイメージしてほしい
日本は自己評価制度のような心を育てる教育は不十分だと思います。
日本の評価制度ではテストの点数で自分が他人よりも出来ないことを認識する生徒が必ずいます。
もしクラスでビリの生徒は、その成績が人生を決めるんでしょうか?
全く違いますね。そうあるべきではないと思います。
僕は出来るようになるまで学び続け、それから社会に出ればいいと思います。
フィンランドでは「何歳までに何が出来るようにならなくてはならない」と考える文化がありません。
資格と能力の関係と同じように、学年と能力がマッチしているべきで、出来ないことをそのままにして進学することはよくないという考え方が浸透しています。
子供の頃が人と比べてどんな成績だろうと、社会に貢献しひとりひとりが幸せを感じることが出来るように社会の制度が整えられるべきだと思います。
現場で教えている者として、もし今まで理解できなかったことが勉強して理解出来るようになったなら、生徒にはその成長を喜んで欲しいと思います。その喜びを理解してくれる大人はどれくらいいるでしょうか?
日本の子供たちみんなが自分が成長する存在であることをよく理解し、自分の生き方を描くことができるなら・・ 日本は今よりもっといい国になる気がするんです。
僕らTcialも教育機関として、生徒自身が成長することを前提として子供たちが将来をイメージできるよう出来ることをしていきたいですね。
あとがき ~旅の思い出~
ヘルシンキ市内でのこと。
ツアーのフリータイムの夕方に、ツアー主催の高坂さんと僕を含む3人で、とあるフィンランド料理店を訪れてみると、たまたま定休日!みんな「あら~残念。」というリアクションでした。
そのときです、近くを犬とお散歩していたおばあちゃんが英語で「フィンランド料理が食べたいのね、近くに別のお店があるわよ。」と道順まで教えてくれました。
優しい!!フィンランド人のおばあちゃんも英語はペラペラなんですね。他にも、訪れた先々で優しくしてもらいました。
最後にもう一回、
Kiitos! Suomi!(キートス!スオミ!)
ありがとう!フィンランド!
私たちは、横浜にある小さな個別指導の学習塾です。
受験をはじめとした勉強において、固定的なカリキュラムや決まった勉強方法に生徒を適応させることに意識が向きがちです。
私たちはそれらを大切にすると同時に「生徒」を中心とした学習方法を提案し実践することが、生徒が勉強を楽しむことに繋がり、学力の向上につながると考えています。
「自分に合ったやり方で勉強したい」「どうせやるなら勉強を好きになってもらいたい」という方は是非ティーシャルをご検討ください。