数学のおもしろさ~小説あるいは哲学と~
こんにちは。
私は英語を教えていますが、数学も嫌いなわけではありません。
中学のときは数学は面白いとそれほど思わなかったけれども、できたときの喜びはひとしおでした。ところが、数学は一旦やり方を覚えてしまうと逆につまらないところがあるのではないかと思うこともあります。そりゃ、すいすい解けるときの喜びはあるけれども、作業になってしまうからね。
素数のネタというのはいろいろありますが、私の好きな「素数」という小説に以下のような一節があります。714と715についてです。
「714は2×3×7×17で、715は5×11×13なんだ。ということは714×715は2,3,5,7,11,13,17の積、つまり最初の7つの素数の積になるんだ。
そればかりじゃない。もっと驚くべきことは2+3+7+17は5+11+13に等しいんだ、つまり714の素因数の和は715の素因数の和に等しいんだ! わかるかい?
こういう性質を持つ連続する整数のペアは非常に少ない。最小は5と6のペアだけど、これは誕生日にはならない。残念なことに、誕生日になれる数字は11から1231までに限られていて、その間にこういうペアは6つしかないんだ」
高橋源一郎「素数」(『君が代は千代に八千代に』)
すごいですよね。数というのは人間が考え出したものですが(たぶん)、それがこういう奇跡を起こすこと、それは「1」というものの不思議さにいきつくのではないか。
私は大学で哲学に興味を持っていたこともあり、以下のようなテキストを見つける機会がありました。
1に1を加えるとき、1を加えられた1が2になったとか、あるいは加えられた一方の1と加わった他方の1とが、一方が他方に付加されたので2になったとかいう説明を、わしは自分自身に対してどうも納得できない。
なぜかというと、それらの各々が互いに離れていたときはたしかその各々は1であって、そしてそのときに2ではなかった。
しかるに、互いに接近すると、互いに近く置かれることによって生ずる接近そのことが、それらの各々にとって2になった原因となるなんて不思議でならない。
また、1を分けると、分けることこのことが今度は2になる原因となったということも、また納得できない。なぜなら、2になる原因が前の場合とは反対になるからだ。
つまり、前の場合はお互いに近づいて一緒になり、また一方に他方が加えられることがそうであったのに、今度は反対に一方が他方から分けられ離れることが、そうなのだから。
これはプラトンが言っていることだそうです。中島義道さんの『哲学の教科書』という本の中で、引用されているのを見つけました。一人称が何気に「わし」なのが可愛い。
プラトンというのはこの世で初めて「哲学の本」を書いた人です。ソクラテスという師匠の言ったことをいろいろ書きました。
その中で、数学と哲学はひとつに結びついています。有名な、イデア論というのがあるのですが、「誰に教えてもらったわけでもないのに知っていることは、魂が覚えているのだ」ということを言った人です。
例えば、正方形の対角線を結ぶと面積が半分になる、というのは、証明は難しいですがそれを習う前から誰でも知っていることではないでしょうか?
英語の文法にも数学的なところがあるし、国語の読解は数学的な緻密さに基づいているところもあります。そう思っています。
さて、今日も授業頑張るぞ~。
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