心の中に理想の書き手を

机の上に置かれた本

長いようで短い小論文

小論文というテスト形式では、600字から800字程度で自分の言いたいことを言わなければいけません。小論文に慣れていない人にとって—つまり多くの人にとって、600字も書かなければいけないという制限は大きなハードルに感じられるでしょう。

しかし、よく考えてみると、600字あるいは800字以内で言いたいことをきちんと言えている文章というのは滅多にお目にかかれないのではないでしょうか。

きちんと調べたわけではありませんが、このように書くには少しの理由があります。つまり、このような字数で、言いたいことをきちんと言えていて、なおかつ「こんな文章が書きたい」と思えるような文章をネットで探してみたのです。

文章のモデルを持つ

時々話にあげているかもしれませんが、私は國分功一郎先生(勝手に先生と呼ばせてもらっています)の書く文章が大好きで、心の中でいつも文章を書く時ひそかに参考にしています。

この間、生徒に小論文のお手本を見せるために、ある学校の問題を解いていたのですが、その時明らかに、自分は心の中で理想の書き手の文章を模倣しているな、と思ったのです。

國分さんの文章のどこがいいかというと、なんというかどんな文章を書いてもいつも「びしっ」と決まっているのです。

私がいうとなんというか、恥ずかしいのですが、私にとって國分先生の文章の魅力は、正義感なんです(なぜ恥ずかしいかはお察しください)。

本を書くには様々な動機があると思われますが、國分さんの場合は、必ずどこかに「今ある不正を許さない」という気持ちがあって、それが本を書く時の揺るぎないベースになっているような感じがします。(本人は「論文を書く時はスタープラチナのように書きたい」と言っている)

小論文もボリュームは限られているとはいえ論文ですから、必ず何かについて「こうあるべき」と言わなければなりません。

その時ベースにあるのが國分先生の文章だなあと感じたのでした。

教室にも國分先生の『暇と退屈の倫理学』や『中動態の世界』を置いていますが、どちらもボリュームのある本ですし、中高生に読んでもらうにはなかなかのハードルがあります。

見たことがないものでも…

そこで、冒頭の話に戻るのですが、國分先生はたしかネットの新聞にも記事を書いていたし、それなら600字に収まるものもあるんじゃないか?と思ったのですが、実際にはどんなに短いものでも1,500字くらいはあり、600字という制限の試験にはお手本とするにぴったりというわけには行かないか…と落胆していたのでした。

何かを作る際、よく言われることとして「自分が見たことのないものは作れない」というのがあります。ここまで書いてみてふと思ったのですが、そう言われていてもやはり、私自身、600〜800字の憧れの文章というのは見たことがないわけで、短い文章を書こうとする時でもやはり心の中にあるのはいつか読んだ本格的な文章の流れやリズムなのでした。その意味で、字数は本質じゃないのだなと思い直しました。

もちろん、どんな著者の言葉が心に触れるかというのは人それぞれの問題であり、私がおすすめする文章をいいと思ってもらえるかどうかは全く未知数ですが、お手本になる文章をひとつ心の中に持っているだけでも、そこから色々とひろがっていくと思いますし、試験という難しい場面でも—だからこそ—心の支えになってくれるかもしれません。

文章は好きになろうと思って好きになれるものでもありませんが、一つ前の記事で書いたように、少しでも興味があれば、近づいてみて手にとってもらえればと思います。

記事紹介

文中で紹介していた、ネットで読める國分功一郎先生の記事は、以下のようなものがあります。

コラム・論考

オンラインで読める記事です。ハフポストの「党内運営の諸問題」は少し古く、また分量も上二つに比べると長いですが、國分先生の文章の雰囲気が一番よく感じられるものです。「政治や選挙に興味を持ちたいけど、なかなか興味が持てない」という方におすすめです。

イメージの上の机|日経オンライン 2018/11/17
柄谷行人の批評 影響認めて自分を解放|日経オンライン 2016/10/2
党内運営の諸問題|ハフポスト 2013/7/24

國分功一郎氏インタビュー(下)~住民運動は「糾弾型」から「提案型」へ|沖縄タイムズ

インタビュー・対談

より身近なテーマを扱った対談やインタビュー記事を集めました。哲学全般や、國分さんのテーマにもっと気軽に近づいてみたい方におすすめです。

待ってるだけじゃ「哲学」はやって来ない|文春オンライン
恋愛は「心の穴」が、させている【哲学者とAV監督の対話 ①】|cakes

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この記事を書いた人

片岡 正義

主に国語・英語を担当。言語を理解する上での「からだ」と「あたま」の双方から楽しみを感じられるような授業をしたいと思っている。

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